特発性過眠症と共に。

特発性過眠症と共に生きる。🚢☁☁

体は今日まで生きてきた、今生きているという事実を示している

私は自分を褒めることが苦手です。謙虚と言えば聞こえはいいですが、自分のダメな部分に強くフォーカスを当てるのが私の癖です。誰かから褒められることがあっても、私にはすごくだめな部分(朝起きられない、遅刻する、何十時間も眠る)があるから、私の認識で私はいつもだめな人間でした。

すごい

でも、ちょっと待てよと。自分をだめな人間って決めてしまう前にある事実があるではないかと。朝起きれなくてもいいし、遅刻してもいいし、何十時間寝てもいいし、それらよりもまずすごいことがあると思ったのです。起きただけですごい、起きてるだけですごい。着替えたのもすごい、体起こしたのもすごい。生きてるだけですごい。すごい。それを思い出せたら、それを喜び合えたらいいなと感じたのです。明石家さんまさんがたびたび口にしている、"生きてるだけで丸儲け"ってこういうことなのかなって思ったのです。

生きてるってすごいに還ってこれたらいいのかもしれない

もちろんそう思えない瞬間もたくさんあるけれど、生きてるってところに還ってこれたらいいのかなって。どこまで行ってもぐちゃぐちゃで死にたくて死にそうになって苦しくて泣いても泣いても涙尽きなくて天井を見つめ続ける日々にも嫌気がさして自暴自棄になってすべて投げ出したくなって、そんなふうになっても今生きてるっていうところに戻ってこれたらいいのかもしれないと。戻ってこれる場所があるって、不思議な感覚で、安心感があるっていうか。ああ、そっか、私は今生きてるんだなって思ったらなんだか嬉しいようないとおしいようなよくがんばったねって自分に声をかけたくなるような気持ちが涌いてきました。これからまた私もどうなるかわからないけれど、どんなになっても戻ってこれたらいいなと思ったのです。

今日まで生きてきた、今生きている。

今生きている人はみんな今日まで生きてきた時間があって。それは体が示していて、体は生きてきた勲章なんじゃないかって。そう思ったら自分の体も生きてきた勲章だから、自然と誇らしく感じます。
そんな生きてきた、生きている自分たちをお互いが認め合えたら素晴らしいなと思いました。同じ人間同士生きてきたことを誉め合いたいです。もしかしたらそれが、相手への尊敬や敬意に繋がるのではないかとも感じました。もちろんいつでもそんな心持ちではいられなくて、どうしようもない状況に途方に暮れたり、やりきれない思いに胸がつぶされそうになったり、悲しくて涙が止まらなかったり…生きていれば、生きているからこそ毎日いろんなことが起きて、いろんな感情を抱いて、生き続けていくのがつらくて投げ出したくなったり、自分で止めてしまいたいと思ったりするけれど。基本の心持ちはそうありたいなと感じています。

よくやってきたね。

慣れたり忘れたりもっともっとってさらに先を求めてしまうけれど、まずはここまで生きてきたことを褒めて労うところから始めたい。よくやってきたねって。そこから始めたいよいつも。よくやってきたね、すごいね。ってお互い声をかけ合うところから始めたら、それはなんだかなんだか素晴らしい世界だなと思うのです。