特発性過眠症と共に。

特発性過眠症と共に生きる。🚢☁☁

ないということはあるということ

"しょうがない"という言葉で飲み込むにはたいそう時間がかかるのかもしれない。"しょうがない"の言葉で飲み込めない程の事柄がある。出来ないことが山ほどにあって、今まで出来ていたことも出来なくなっていたり、頭の回転がびっくりするくらい遅かったり、悔しくて寂しい。そんなときにいつからか思うよう心がけていることがあって、それは「ないはあるということ」出来"ない"は、やりたいこと、実現したいことが"ある"ということ。悔しくてしょうがなくて涙が溢れて止まらないのは、私の中にそれだけのものがあるということ。そう考えるようになるべくしている。そう思うとなんだか落ち着くからっていうのもある。あとは、今の自分には出来ないけれど時間と共に出来るようになる事柄はある。とはいえ不可能なことはある。諦めと諦められなくて悔しくて泣くのを何度か繰り返しながら生活している。いったりきたりしながら、少しは"しょうがない"と笑いながら飲み込めるようになっただろうか。


不思議と以前より自分のことを情けないとは思わなくなってきている。療養前、療養一年目は寝ていることしか出来ない自分がとにかく情けなくて仕方なかった。私の場合は他人と比較するときに自分を情けなく思うことがほとんどだった。午前中から働くとか、毎日外に出て活動するとか、仕事の後に友人とご飯を食べたり、日帰りで小旅行とか、遊びに行った次の日は倒れないとか…私には出来ないことばかりだから。私はもうこの先の人生でディズニーランドに行くことはないだろう。遠出と歩き回るのが難しいから。でもミッキーとミニーちゃんには会いたいな。


諦めきれないけど諦める諦める諦めるをしながら諦めていると、ふと私が一番諦められないものはなんだろうかと考える。その一番諦められないものは決して何があっても捨てないで生きようと思う。たとえそれが叶うことはなくてもいいんだと思う。たとえ実現出来ずに死ぬことになっても生きている間、私の中にその諦められないものがあったらそれでいいんだと思う。諦められないものがある私で生きてたいなと思う。ないもので嘆くときあるものを抱き締めたら生きてける気がする。私は私にあるものを抱き締めるから、あなたはあなたにあるものを抱き締めてね。それがきっとあなたにしかないもので、私にしかないものなんだと思う。そういうことなんだと思う。ぜったい私は忘れるから未来の私と今これを読んでくれているあなたへ。