特発性過眠症と共に。

特発性過眠症と共に生きる。🚢☁☁

2019年の終わりに振り返る辿って来た道

少し自分に纏わる様々なことについて、それを許せるようになってきたかもしれない

不思議なことに、人が好きになってきている。その人の持つどうしようもない部分やとってもめんどくさいところや、どこまでも自分に正直にしか生きられないところや、諦めが悪いところやメラメラと燃えている自分や上手くいかなくてもがくしかないところが、ちょっとばかり欠けているどころかもう欠け過ぎて粉々になって新しい形になっているような不器用極まりない部分をとても人間らしいな、かわいいなと思うようになってきた。それは、自分を許せるようになってきたからっていうことも影響しているかもしれない。ASDの気質から完璧主義(こうでないとだめ、これ以外あり得ない、これ以外は許さないと極端な思考で現実離れしている理想を自分に要求し叱責するのでやっかい極まりない。自分の理想への強いこだわりとも言える。)の思考に勝手になるのだけれど、最近は理想はあくまで私の頭の中で作り上げたイメージであって、頭の中だけなのでいわば妄想なのだ。現実の自分は体があって、ご飯を食べ、呼吸をし、心臓が動き、よく眠る。理想の妄想と現実の体のある自分とを分けて考えられるようになってきている。これは生活をしていく上で私にとって大きな出来事で大大大収穫です。まず自分の思考の傾向(ASD)を知れたことが大きなきっかけでした。自分は完璧な理想を勝手に頭に思い浮かべイメージしてしまうこと。その理想への強いこだわりがあって、理想に当てはまらないものはすべて許せないこと。私の場合、この2つとあともう一つ極端な白黒思考(白か黒か、0か100かで間がまったくない)がやっかいな原因でした。

過眠症とASDを持つ私のジレンマ

当たり前なんですが、私は過眠症なのでかなり長い時間眠り(夜間睡眠は12時間〜16時間)、起床が困難で遅刻も数えきれない程して生きてきましたし、日中は睡眠発作で何度も眠りに落ちます。これが現実の私です。でも頭の中でイメージする理想の完璧な私は、朝はすっきりと起きるし時間に余裕を持って行動するので遅刻もしないし、日中に急にシャットダウンするように寝てしまうこともありません。いわば妄想である理想の自分と現実の体のある自分とを分けて考えることが出来なかった(理想の自分と現実の自分が一緒になっていた)私は、頭の中ではこんなに完璧なのに、なんで私は寝てしまうんだ…というジレンマと理由がわからないのと理想とあまりにかけ離れ過ぎている自分が許せなくてたまりませんでした。他者から言われる以上に誰よりも自分を責めて許せなくて怒っていたのは自分でした。

必要なのは休息だった

やっかいなのは、理想の完璧な自分を現実の自分が実行するのは難しいとだんだん感じてきても、ASDから来るこだわりが私の場合は理想の自分に向けて発動するのでただの妄想なのに頭の中の完璧な自分に固執してしまい理想の自分を現実の自分に強要させることをやめることが出来なかったのです。さらに白黒極端な思考から、設定する理想が極端に高すぎるものかだったらやらなくていいよという0かしか考えられなかったのです。今思うとそりゃ出来ないでしょっていう無理難題を勝手に設定し、出来ない自分を責める、休みも与えず動き続けるよう強要するっていうドMかっていう謎のプレイとも呼べるようなことを私は15年くらいしてました…。(笑えない)ASDの思考の特性から体を酷使し続けた(主に休みを自分に与えなかった)ことで体調は悪化し、とんでもないところまで行きました。ある日倒れてそこから2年弱布団からほぼ出られずひたすら眠り続ける日々が始まりました。そこまできても私はまだ理想の自分にこだわることを辞められず泣きながら完璧な私にこだわっては眠る自分を責めていました。体がSOSを出してもうこれ以上動いたら死ぬってところまできていたんじゃないかなと今振り返ると思います。体が動かないし、眠れば理想の自分を妄想することも出来ないから。そうして止まらず終えなくなり、私のASDな自分、特発性過眠症の自分を知る、理解する、少しずつ受け入れていく、学びが始まりました。それにはひとりでは難しくて、今罹っている病院の先生の存在があります。私は過眠症の検査入院をして通っていた病院が遠かった為に通えなくなり、家の近所からバスで行けるわりかし近い距離の心療内科にかかることにしました。たまたま先生との相性が良かったというのもありますが、先生から言われること少しずつ取り入れて今に至ります。実は最初は反抗していて言われたことに対しても受け入れられず、まったく逆らっていましたが笑

こだわりが固執にならぬよう変化させていく

ASDの特性を理解してからは、小さなこだわりに対しても固執しすぎないように少しずつ変化をさせて行ったり、同じものを好むのが性質としてあるのでなるべく変化を入れるよう生活の中にね、そのように対処して少しずつやっています。極端な思考や完璧な理想は今もありますが、自分の頭の中の妄想と現実の自分を分けて観察できるようになったおかげで、高い完璧な理想だけではなくて、現実の自分にあったもので目標を設定し、難しかったりしんどかったら少し目標を変えて様子を見たり、などとにかく現実の自分の方に合わせて調整が出来るようになってきました。そして、完璧な理想はあっても良くて、それを手放さないでも良い。そして重要なのが、今すぐ理想に追いつかなくてもいいということ。これを知れたのは目から鱗でした。穴恐ろしや…私は完璧な理想の自分に今すぐなろうとしていたのです。理想を思い描いたらすぐにそれになれると思っていたので、何故理想の自分通りに自分は動いたりなったり出来ないんだろうと純粋に疑問に思っていました。妄想の理想通りに現実がなるなんてしかもすぐに。魔法じゃないんだからって過去の自分にツッコミを入れたいです(汗)あるとき、あっ私の理想は頭の中のことで現実じゃない!って気づいた瞬間があって、それでやっと理想は妄想で、妄想と現実を分けて考えられるようになりました。妄想を現実にするのも現実で、ひとりで見る夢は妄想だけど、自分以外の誰かと一緒に見る夢は現実だということも知りました。(今は過眠症の本を出すという夢を現実として実現出来るよう現実を重ねています)ようやく私は頭の中の理想から出てきたとも言えるかもしれないです。おかえり、私よ。

折り合いについて

過眠症との折り合いは今もついていません。折り合いがつけられる日があったり、眠るだけの日々はやっぱりしんどくて思考も落ち込みつらいですし、うおおおって発狂しそうになるけれど眠いから発狂も出来ないし、そうやって揺れながらそのときそのときを感じ生きながらなんとかやっています。なんとか生きたその先に素晴らしい景色があなたを私を待っていますよう。いや、絶対待っているのです。その瞬間を楽しみに藻掻きながら一日一日、私にある今日という日を生きれますよう。2019年、ありがとう。2020年、どうぞよろしく。お手柔らかにお願いします。笑

みなさま、よいお年をお過ごしください✨✨✨
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