特発性過眠症と共に。

特発性過眠症と共に生きる。🚢☁☁

自分を大切にしていいし、自分に優しくあっていい

自分を大切にしていい、自分に優しくあっていい

病気によって身体が思うように動かず、思いとは裏腹に強制的に眠気に引きずられシャットダウンしてしまうことが常で。そんな体とどうにかうまくやっていきたいと思う。やりたいことが山ほどあって、自分の身の周りを整えることもままならないのだけれど。そんなとき「なんで」「どうして」と自分の病気に対して憎悪が涌いてきたり自分の体を責めて責めて責めて…泣きながらねむるっていう、そういう日々をイヤというほど過ごしてきて。だけれど体はいつだって生かす方向へと動いて。体はいつだって生きる方へと向かっていて。それが生命というものなんだなと思う。だから体はなんにも悪くなくて、こんなに生きる方へとせっせっと動いているところを責められて…ほんとにごめんねって思う。もう自分を自分で責めるのは終わりにして、自分を大切にしていきたいし、自分に優しくありたい。

やりたいことはぜんぶ夢に加えよう

体と仲良くやっていこうとわたしは約束をした。もどかしいことも多いけれど、すこしは仲良くやれているかな。やりたいことや行きたいところやしたいことを妄想し想像し、現実に帰ってはしょうがないと諦める。私の感覚で川原の石がやりたいことだとすると、石を拾って眺めてきらきら想像しては、手放す。拾っては眺め、放す。その繰り返しをしている。拾うことは出来るからね。私は拾わずにはいられない性分みたいで、体は布団に横たえていても拾っては想像しきらきらしているなぁってそっと手放す。泣きながら手放すときもあれば、ふっと自然に手放せるときもあるし、なかなか手放せないでぎゅっと握ってしばらく持っているときもある。これは夢に加えようって、夢のポケットに入れて持ち歩く。夢にしてから不思議と夢が叶っている。どんどん私の夢は増えていく。毎日を夢と一緒に生きていくのはわるくない気がしている。

変化していくことに救われている

そんなこんなしているうちに、体を置いてけぼりにしないで一緒に歩いていたら思いもよらないことが舞い込んできたり、出来ることが増えていたり、楽しいことがあったりする。つらいときはそんなこと思えないけど、でもまた時間が過ぎれば感じ方が変わってきたり。生きている限り生命は常に変化しているから、最近その変化しているって事実に救われている。今だって少しずつ日が長くなっていて着実に春に向かっていて。もう夏至を迎えた。雲だって流れて形を変えるように社会だって世界だって私たち人間は変化してるから。うまく言えないのだけど、変化してる限り大丈夫だという気がしているのです。私は自分の理想通りにやりたいっていうこだわりが強くて。こういう自分じゃないと許さないだったり、とにかくとても頑固で…。変化を恐れるということなのかもしれないのだけど。何かしらに固執したり、ある一点に固まっていると逆にあまりよろしくないんだなっていうのを感じていて。

誰もが生きてるだけではなまる✨

流れるまま、流れに乗りながら歩いて行けたらいいな。遅々たる歩みも進んでいるから。まずは生きることをいちばんに据えて生きている。それでいいと思えている。毎晩、自分にはなまるをあげている。生きてるなんて物凄いことだ。なんてなんて凄いことなんだろう。カレンダーにはなまるを書いていて、一日生きたらはなまる。6月下旬になって、カレンダーにはたくさんはなまるがたまった。見ていると、私生きたなって思える。これはなかなか良い。誰もが生きてるだけではなまるだ✨✨✨✨✨