特発性過眠症と共に。

特発性過眠症と共に生きる。🚢☁☁

前回の記事と許しと秀樹は褒めてくれる話

中学一年生のときに、保育園から一緒だった幼なじみの友人が病気で亡くなった。そのとき私は友達の家で遊んでいて。友達2人と一緒にテレビゲームをしていた。連絡網がまわってきて友達が亡くなったことが親に知らされて、私たちにも知らされ。聞いただけでは全く実感もないし、何が起きたのかよくわからなくて、しばらく沈黙があってテレビゲームに戻って、ちょっとぼーとしながらも引き続き友達と遊んで夕方になって私は自分の家へ帰った。

○○○が死んだのになんで私は生きているんだろう。世界は何も変わっていなくて(そのように感じられて)その日から悲しいとかじゃなくて、悲しいんだけど、不思議という言葉が合う、不思議な気持ちで。それは30歳になる今までずっと変わらず今も不思議に思っている。


西城秀樹さんが亡くなったときにも感じたのだけど、西城秀樹という人が死んだというのに私の世界に大きな変化はない(ないように感じられて)。地球に隕石が落ちるとか、火山が爆発するとか、西条秀樹が死んだら天変地異が起こると思っていた。誰かが死んでも世界はそのままあることをまざまざと見せつけられたようだった。

yorinnem.hatenadiary.jp


前回書いたブログ記事は、そんな私に対する私からの答えだったのかなと感じていて。○○○は死んだのに、私は楽しくていいのか、楽しんでいいのか、と思っていた。意識してないけれど、どこかで生きてていいのかって思っていた。私は自分が生きることをなによりも一番に優先していいのかと。生命は誕生したからにはいつか死を迎えるもので、生きながら死を待っている。必ず訪れる死を待っているんだけれど、生命はいつだって生かす方へと動いている。そのように出来ている。書きながらよくわからなくなってきたけれど。前回のブログの言葉を自分にかけてあげられたこと、うれしい。友達が死んで、私は生きてる。なんで私は死んでいないのか、その不思議な気持ちはなくなっていないけれど、死が訪れるまでは生きていいんだって、自分が生きることを優先してもいいんだと自分が自分から赦しをもらったようだった。なにか苦しいときって、自分で自分を許せないと苦しいのかなと思った。自分の状況や状態や行動に対して許せないことが私にはたくさんあった。今もたくさんあるけど。

人間は理想を描く生き物だし、こうありたい、こうあろうと理想を抱くことで現在の自分律したり、理想に向かって動けたりするけれど、理想ばかりを見て現在の自分に対して厳しくするだけだと私は悲しいなと感じた。これから許せなかったり恥ずかしかったりする自分がいっぱいあると思うけど、そんな自分も許せたらいいなと感じている。


ちなみに、、、療養中、私がお風呂に入っていない期間の最高は17日です。当時お付き合いがあった人に話したらドン引きされました。その後、恋愛感情を持てないとフラレました。それだけが原因じゃないと思うけど、それも原因だったんじゃないかと感じている!まだこの記録を更新する日が来るかもしれない…!!

私はお風呂好きで、温泉も大好き。なんで入れなかったかというとずっと寝ていたから。風呂に入るエネルギーがなかった。体拭くだけでも出来たらよかったけど、それもできなかった!でも生きてる!だから、生きてるその事実を褒めて褒めて褒めて褒めて褒めて褒めて褒めて褒めて褒めて生きていくぜ~。西城の秀樹は絶対生きてる私をあなたを褒めてくれる。そうなの!絶対褒めてくれる!私は秀樹に褒めてもらいながら生きる!!