特発性過眠症と共に。

特発性過眠症と共に生きる。🚢☁☁

「自分の時間」と「他者との時間」

眠っても誰にも迷惑をかけない

療養をしていて気づいたことがあって、眠るしか出来ない日々は私は眠っているので誰とも会う予定もなく約束はなかった。用事といえば病院で、それも予約しなければ予定はない。私がこんこんと眠り続けていても誰も何も言わなかった。そうか、会社やグループや他者との関わりに参加しているからこそ遅刻したり無断で休んだりがあったら言われるのだ。何人もの他者が関わって成立している場に私は参加していたんだなあと思った。色々言われたりするのは私が他者との関わりに参加していて、その中での時間を守る、遅刻しないなどのルールに適応出来ないからなのだと。だけど、このルールはある人間の集まりの中で認識されているルールであって。私が途中で眠っても遅刻しても成り立つ人間の集団があるのだ。他者と共に生きるためにお互いにルールや約束を見つけて試していければいいのかなと考えている。

そこから自分が過ごす時間について、「自分だけの時間」と「他者と一緒に過ごす時間」の大きくふたつに分けて考えるようにしてみた。

動きを止められなかった私

私だけの時間は、誰とも約束していない時間だからはどんなに寝てもいい。迷惑をかけることもない。今では私は他者と過ごす時間(仕事もプライベートも)が圧倒的に多くて、過眠症の体で他者との時間に合わせるのはきつかった。どうしてかわからないくらいに疲労し、それがぷよぷよのストーンのように積み重なっていきどんなに寝ても解消される感じはなくて溜まる一方でしんどかった。若かったのも関係していると思うのだけれど(もしくは発達障害の関係か…現状は未診断で予約が取れ次第、病院へ行くつもりです)今よりももっともっと自分で休む時間を確保したり動きを止めることが出来なかった。

過眠症患者72時間密着スペシャル!という番組があってもいいよね、という妄想

毎日休みなく動き続けては、あらゆる場面・人前で寝ていた。当時の私を過眠症患者の24時間と題してカメラでずーっと追ってたらけっこう面白いと思う。一場面だけでなく24時間、はたまはた72時間とか長時間カメラで映すことでこんなに寝てるんか!っていうのを見ることできるから人に伝えるには良いかも。病気だと理解してもらえる気がする。放送は深夜枠で。そこから徐々に取り上げられてゆくゆくはあさイチで特集組まれるみたいになったらいいなあ、今書きながら浮かんだ妄想です。

話が脱線しました。

あまりに動き過ぎて(体を酷使し過ぎて)自分に対して体調面も精神面も何のケアも労りもなく来てしまったことを振り返り、ひたすら眠る療養生活の中で私には回復するための自分だけの時間がかなり高い割合で必要なんだと自覚しました。そこで短時間枠で働き出してからは「自分だけの時間」と「他者との時間」を考えたときに、私にとって良いバランスというのをかなり調整しながらやっています。調整しても他者(ここで言う仕事)はどんどん変わっていきます。変わっていく他者に対して、こちらも調整をしてバランスを取るようにしています。無理だってなったら早めに調整して、わりかし体調の良い時に考えると「他者との時間」を増やそうとする傾向にあるので、私は体調が悪いときでも最悪行けるだろうとなるべく体調悪いときを想定してスケジュールは組んでいます。

折り合いはきっと一生付けられなくて。諦める、諦められないを繰り返しながら生きていく

その過程ではむくむくと沸き上がる欲望に対して、布団で眠る自分、動ける時間が僅かな自分に対して葛藤があり諦める、諦める、諦められない……諦める。諦められない、みたいに行ったり来たりの思考を繰り返しています。この時間が一番もどかしくてつらかったりもします。変に体調がわりと良くて動けたり、誰かと楽しい時間を過ごしたりそういう後は寂しくなったり諦めるが難しくなります。でも現実の私には睡眠時間が必要なので、葛藤を繰り返していくうちに落ち着くところに気持ちがおさまります。おさまったと思ったらまたむくむく「他者との時間」に対する欲が増してきて、また諦める、諦める、諦められない…諦めるを繰り返します。もうその繰り返しで、たぶんそうやって繰り返して揺れながら行けばいいんだろうなと感じています。諦められないその度に苦しかったり悲しかったり寂しかったり悔しかったり…その度に感じてればいいのかなって。

落ち着く時間を

「自分の時間」を過ごすときに意識しているのは、無理をしないことを自分に許すこと。落ち着く時間を増やしていくこと。誰にも見られてないしひとりの時間なんだから人目を気にせず自分が好きなことを楽しむこと。私の場合は漫画読んだり、ハロプロの動画を見てニヤニヤしたり元気もらったり、一緒に歌ったり、適当にノリノリで踊ったり、ぬいぐるみを抱きながら泣いたり、コーヒーのにおい嗅いで癒されたり、じゃがりこを無心でぼりぼり食べたり、とにかく今日は寝る日って決めて一日寝てたり(一番多いのはこれです)。


もし私に子どもがいたら「自分だけの時間」を確保するには色々な調整が必要になるだろう。色んな人の協力が必要だろう。ご家族の事情だったり自分だけの時間を確保するって自分ひとりでは難しいことだなと感じます。逆にひとりの時間が多く、他者との時間がとても少ない方もいて、それは計り知れない寂しさでとても苦しいと自分の療養中の経験からだけでも思います。人間は独りでは生きていけなくて、そして自分だけの時間がないと生きていけないとも思うのです。どのように調整しながら、協力をし合いながらどうバランスを取っていくか。そのバランスを取れるように他者同士が上手く協力出来る社会に日本がなっていったらいいなと感じます。

人に会わなさすぎて人に飢える

療養中、あまりに人と会わない話さない時間を2年過ごし(1年目は眠るだけで感じなかったのですが)2年目に入って私は猛烈に人に飢えるようになりました。何かしら人の気配や痕跡を感じたい、と常に思っていて、人に会わなすぎて発狂すると携帯のメモに打ち込んで記録していました。宅急便のお兄さんの顔を見て一言言葉を交わしたなんて日は「人間に会えた~~~~~!!!!!」と心底嬉しかったです。でも今度はスーパーとか町ですれ違ったり、コンビニでの一言やそういったやり取りでは満たされなくなり、もっとしゃべりたい、人と関わりたいっていう欲が出てきて歯医者や病院に行った際に待合室で隣に座ったおばあちゃんに話しかけたくてウズウズみたいな状態になっていました。療養中の2年は、無人島にひとりでいたらこんな感じなのかなあと思う人に飢えるという体験をしました。いくところまでいったなと思いました。


そんな人に飢えていた私も、働き出して1年。自分だけの時間を猛烈に欲するようになりました。仕事で「他者との時間」を過ごす、人と関わることが多くなっていき今度は人と関わり過ぎて発狂する!!!って状態になりました。人間ってけっこうすぐ慣れるんだなって適応力にびっくりしました。(働き始めは声は小さいわ不安しかないわで人と関わるのめちゃくちゃ大変でした)逆に言えば、今は発狂するくらい社会に出て他者と関わってるんだなということで。自分えらいなー!すごいなー!って褒めてあげたいです。

「自分の時間」と「他者との時間」そのバランスを都度都度点検し調整していく。

というわけで、私が生きる上で今キーワードにしているのは「自分の時間」と「他者との時間」そのバランスと調整です。現在の私は自分だけの時間が足りてなくて、コーヒー一杯にほっとしたり、タピオカを飲んでる間だったり、トイレにいるときだったり。些細な、でも自分にとって大事な自分だけの時間を楽しんで味わって増やして行けたならと思います。「他者との時間」とのバランスを見ながら。調整しながら協力しながら労いながら生きていきたいです。