特発性過眠症と共に。

特発性過眠症と共に生きる。🚢☁☁

自分にとって新しいことをやってみる

私の尊敬するひとが、少し前にnoteを始めて、私はその人がはてなブログでブログを書いていたからはてなブログを選んだほどで。遅ればせながらもnoteを始めてみようと始めました。尊敬する人を追って、色んなことをやってみようと思えていて。その尊敬する人は坂爪圭吾さんという方で、こちらが坂爪圭吾さんのnoteです。

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なんでも重く考え過ぎてしまう私には、けっこうすごい変化だと思うのだが、まずは楽しんでやれたら一番かなって感じている。それでさらにやりたくなったらやればいいし、追求したくなったら自分のペースでいいからちょっとずつでいいから追求していけばいいし、と思っています。

そんなわけで短いフィクションの文章を書きました。自分が病気になって感じたことや、療養中の考えたことや、そういうものが詰まったものになりました。もしよかったら、ぜひ読んでください!へーとかふーんとか何か一言でも感想頂けたら幸いです。自分の可能性を信じることが誰かの可能性を信じることに繋がればいいな。逆もあって、そうやって廻る世界は素晴らしいなって感じてます。

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生きること

私はよく迷う。どうしようか、もうやめようか、やめてしまおうか。生きることは容易くない。

私がちょっとやっかいな病気を発症したのは10代の頃。はっきりとはわからないが中学生〜高校1生生の頃。周りから「いつも眠そうだね」って言われていた。特発性過眠症という原因不明の睡眠障害だった。いつも眠かった。

睡眠はとても個人的なものだ。その人が抱える眠気は本人以外には誰にもわからない。誰も自分以外の眠気は体験が出来ないから。誰かの言う「眠い」が果たしてどの位眠いのか、誰かの眠気と自分の眠気を比べることも出来ない。他人の眠気の強度は知る由もない。故に私も、自分が抱える眠気が尋常ではない眠気だということに気がつけなかった。発症してからおよそ12年。人から病院に行くことを勧められ初めて過眠症という睡眠障害だということが発覚した。特発性とは原因不明。治療法は確立されておらず、突然変異が起こらない限り治ることもない。選択肢は対処療法として服薬があるだけだった。眠気が異常過ぎて意識が保てず強制的に眠りに引きずり込まれる。みんなはなんであんなに元気なんだろう、不思議でしょうがなかったその疑問は解けた。私は睡眠の病気だったのだ。


起きることが泥沼から這い上がるような身体感覚を伴い、起きた直後から眠い。何十時間、何日眠り続けても眠気はなくならない。すっきりと目覚めることはない。私から眠くない時間はなくなってしまった。爽やかに朝を迎えられていたときの私はもういない。あまりに遠ざかってしまい、すっきり爽やかな朝はどんなだったかもう思い出せない。さみしい。私の頭はいつも眠い。発狂しそうな眠気を抱えながら、なんとか起きてはまた眠る。そもそも一日2〜4時間起きていられたら良い方だ。水分を取って、ご飯を一食、食べれたらはなまるだ。薬を服用し8時間ほど起きていられても、体に無理させてるから副作用や反動がある。


起きること、起きていることが、目を開けて存在していることが全エネルギーを使っても難しい。治ることはないという絶望にどうやって立ち向かったらいいのだろう。毎回負けている。連敗である。たどり着いた答えは負けながら生きる。絶望しながら生きることだった。あと何度この絶望を味わえばいいのだろう、そう思って何度目だろう。もうやめようか、やめてしまおうか。私はまた迷う。生きることを続けることを私は迷う。迷い、どうやってか気が狂いながらも続けようと生きるを決断してはまた迷う。迷いながら決断し、全くもって大丈夫じゃないままそれでも今なんとか生きている。私の「迷い」と「決断」は生きること。毎秒生きる方へ舵を切ることを決断し、よく迷い、また生きる方へと決断し、また迷って、「迷い」と「決断」を繰り返しながら生きている。迷うも決断するもどちらも動詞だから、動きが伴う。だけれど私の「迷い」と「決断」は布団の上だ。かろうじて意識があっても重力に逆らえず、布団に横たわっている。動詞で迷っている私は布団の上で動けずにいる。書いていて思う、なんだか滑稽だ。笑ってしまう。行動的な「迷い」と「決断」に憧れる。いつか私も、動詞らしく動きを伴う「迷い」と「決断」をしたい。それを夢に加えよう。私には夢がいっぱいある。やりたいことぜんぶ夢にして生きている。起きてないと、誰かと関係を結んだり、働いたり、人と関わったり、大好きな友人と時間を過ごしたり、出来ない。でも生きるをやめることを決断したら、可能性すら失ってしまう。どんなに眠る日々だって、生きている限り可能性を孕んでいる。私はちょっとやっかいな病気で眠る日々を送る人生だけど、生きてるってことは夢を現実にする可能性を秘めている。だからどんなに生きることをやめたいもう無理、やめようかって迷っても、生きることを決断して生きている。またすぐ迷うと思うけど、迷ってもいいからこの先も生きる方を決断していけたらいいなと思う。頼むぞ、未来の私。そうやって生きることを迷いながら決断しながら生きていく人生は、たぶんきっと悪くない。今、この瞬間も生きることを決断した私がいて、このブログを書いているのだから。悪くない、よね。


#「迷い」と「決断」

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日記2

今の自分が嫌いじゃない。とっても不思議なんだけど。相変わらず眠る日々で、毎日を越えるのが精一杯で。お金持ちになったわけでも何かを得たわけでもないんだけど。なんかね、あんなに不甲斐ないと責めていた自分が、恥ずかしいって思っていた自分が今はそんなに嫌いじゃない。不甲斐ないし、だめだなあってところばかりだけれど。何が変わったわけじゃないと思うんだけど、以前と比べると人を頼ったり、甘えたり、相談したり、自分の体調のことを伝えて出来ないことは出来ないと、これだったら出来るかもしれないとそういう風に自分の事情を踏まえて関係を作れるようになっているように思う。自分の事情は入れちゃいけないって思って生きてたから、大きな発見だった。だから、自分が嫌だったら離れていいし、自分の体調だって自分の事情だし、無理してるなら無理しなくていいし。過眠症悪化させて倒れて約2年くらいずっと眠っている生活をして、そこで離れた人間関係は離れた分、本当に自分が大事な人以外は付き合いはなくなって。それはすごく自分にとっては良かったことで。正直ほっとしている。どうしても体調がまずあるから無理してる部分が多かったから。プラス私は良い格好しいな面があって、好き嫌いをはっきり態度で示すことも出来なくて、バリアとかも張れなくて、おまけに年がら年中眠いからぼ〜としていてだから言葉悪いけど利用される、みたいなことも幾度もあったし、あいつないがしろにしてもぼ〜としてるからいいんじゃねってされることもあったし、実際ぼ〜としてること多いから瞬時に反応したり切り替えしたりも出来ないから。そういう人に対して心配り過ぎたり、エネルギー使って疲弊するのは自分で。

私はやっぱり優しい人が好きだ。人の痛みに気づける人が好きだ。ごめんなさいって伝えられる人が好きだ。ありがとうって言える人が好きだ。人の悲しみに寄り添えなくてもそっとしておいてくれる人が好きだ。ずかずかと土足で踏み入ってくる人は嫌いだ。自分の欲求ばかりねじ込んでくる人は嫌いだ。自分の思い通りに人を動かそうとする人も嫌いだ。思いやりがある人が好きだ。素敵だねって言える人が好きだ。自分の好きなものを好きって気持ちを大切にしている人が好きだ。わからないことにわからないって言える人をかっこいいと思う。好きだよって気持ちを大切だよって気持ちを行動で現すことが出来る人を尊敬する。

自分が好きだって思うそういう人になりたい。少しでも近づきたい。ゆるやかにしなやかにたおやかに。どんなにだめだめでもいいから、優しい人に私はなりたい。

日記

眠い体を引き摺り回して無理させて限界何度も超えさせて倒れ…1年10ヶ月約2年くらいずっと寝る日々をおくっての今だからまた体引き摺り回したらまずい…かといって動き出してるし少しできること増えたりしていて動けるようになっているのも事実としてあって。日数は少ないけれど働き始めて人と接する機会も格段に増えた。療養中は、日数や時間はどうあれ働き出したら働き続けるってことだから続けるの無理だって思ってたけど、1年たってもうすぐ1年と半年になる。

会いたかった過眠症の仲間にも会えて、楽しい不思議な時間だった。寝ているわたしからしたら現実なのかな?ってうたがうくらい。しあわせな嬉しいことあった。そしたら余韻を感じながらまた布団と背中がくっついた日々に戻ってなう、つらいなう。楽しかったぶん、ああ…ってなる。もうわたしの感覚では2019年になって5月の今、もう2年くらい生きた。は〜よくがんばった。すごい!えらい!よく生きた。

緻密に計算しながら体調観察しながらお天気も睨みながら調整を重ね常に微調整しながらなんとか今の生活やってるから、たまに、もう調整つかれたってなる。いまなってる…。調整するのシビアな冷静な頭が必要で考えるから睡眠発作きてるときは出来ないし頭働かないときに判断くだすとたいてい体に無理が生じることになっていて、自分が死ぬ。なんだかんだうお〜ってこなせないながらもがんばっちゃうからやばい状態になる。具体的には息切れ・動機。私の体調やばいレベルがあって。色んな側面からあるんだけど。

やばいレベル100〜299.強烈に眠くて頭もげそう。眠くて発狂しそう。睡眠発作がくると場所場面問わず起きていられず寝る。私の場合、だいたいこれが常で私のふつうの状態。過眠症じゃない人のふつうではない。
やばいレベル300.眠すぎて気持ち悪い、吐きそう
やばいレベル700.息切れ・動機
やばいレベル999.場所問わず立っていられず座り込む。もちろん歩けない。座っていても上半身起こしていられない。外出先でそうなったらトイレ個室でうずくまってしばらくずっとうずくまってる。

家にいるときは横になって苦しいってなりながら横になってるうちに息切れ・動悸がおさまるのは待つしかない。横になれるのと歩いたり移動しなくていいのが家のいいところ。外でなるとたいへんが過ぎる。

ちなみにレベル1の状態のときにリンゴジュース(100%の)を300ml程飲むと、少し楽になる。飲み切る頃には気持ち悪さはだいぶ減って強烈な眠気だけになる。強烈な眠気はいつもあるものだから、しんどいけど、ゆっくりだったら歩ける。けど誰かと会話したり談笑しながら歩くとかはむり。かろうじて歩いて家に辿り着くだけのエネルギーしかない。だいたい仕事のあとはこんなに感じになる。家についたら崩れ落ちるように座るか倒れるように地面に背中が吸い込まれる。お腹空いてるけど動けるようになるまでしばらく放心状態。もちろん目は開けらない。寝てる。30分〜1時間とかしてのっそり動き出してご飯。そんな感じ。それで働いた翌日は家から出れない。ずっと寝てる。1食食べたらすごい!お風呂は仕事のある日に朝シャワー浴びる感じで3日か2日に1回。人に会うときはシャワー浴びてから出かけるようにしている。が、ずっと寝てて家にいるときは3日入らないとかよくある。スーパーに買い物とか歯医者とか病院ならシャワー浴びないでそのまま行く。シュッシュって良い香りのするやつは付けてからいく。一応、気にしてはいますよーっていう。良いにおいで隠す、っていうか包む。

だから働いてるときや友達とお茶したり誰かと過ごすときは、やばいレベル100〜150、いっても200くらいのところでいれるように調整していく必要がある。じゃないと厳しい。ここのやばいレベルで会えるように色々調整が必要。調整、たいへん。だけど会えたら楽しいうれしい時間になる。楽しい時間にしたい。だから、がんばる。骨折れる。だけど、一個一個やってく。休みながら甘いもの食べながらね。

30日のうち、10日外出し活動可(最長で8時間)ウルトラマンが3分しか地球にいられないように、タイムリミットが訪れ動けなくなるから帰宅するまでを見越して動く。ぴこん、ぴこん、ぴこんって。20日は主に寝てやすむ時間。基本家。重力に逆らえなくて布団にいるので外には出れない。外に出たとしても、徒歩10分とかのスーパーやコンビニくらい。なるべく家にいてやすめるようにしたい。※やすむって言ってもつらいのは何十時間寝たところでスッキリしないし、さわやかなおはよう朝✨って感じにもならない。相変わらず強烈に眠い。起床時は沼から這い上がるような感覚で体も頭も重くてだるい。爽快感皆無。だから休んだ気はしない。そりゃそうだよね…「あ〜疲れた」って起きたときいつも言ってる気がする。言わずにはおれない。起きたときってなんか、沼から地上に上がる感じでようやく地上きたわって感じ。すごいつかれる。起きててもつかれるし、ねてもつかれるしいつ休まっているんだろう…。楽しい時間かな。精神的には。体は休めているのか正直よくわからない。

生きていていいんだよ

生きていていいんだよって言ってくれる場所が増えるといいな。私に出来ることは何だろう。生きていていいんだよってそういう人間に私はなりたい。私の場合はそれは子どもの頃に見ていた人形劇で、高校生で出会った演劇で。10代後半の思春期の頃、息苦しくて生きてける場所を探してて、演劇を見ているときは呼吸が出来た。私が呼吸できる場所を探していて必死で求めていたんだと思う。息ができないとしんじゃうから。しんじゃうから必死だったと思う。呼吸できる方へ必死に舵をきってきたのが今になっているから、すごいなって思う。今、私は生きてるから。しにそうなときもあるけど、あのとき渇望していた呼吸が出来るものは私に生きていていいんだよって言ってくれる、今も。それで私にとって大切な人は演劇に出会わせてもらっている。特別がなにかっていうその特別がその人であり、その人である証なのかななんてことを思う。特別。特に別!同じじゃないの。別なの!すごく似てるはあり得るけど、まったくの同じはあり得なくて同じは厳密に言えばすごおおおく寄り添っている、ってことだと思う。私を褒めたい。天才。良い嗅覚してるじゃん。私が好きって思う人みんなすっごく素敵でかっこいい。やさしい。特別な存在。他の誰かとかは関係なく、私にとっての特別。生きていていいんだよっていうのは、特別に内包されているように思う。

過眠症のお子さんがいる親御さんへ

療養して今に至るなかで、自分が好きだったものをひとずつ思い出していった。絵を描いたり、色を選んだりのせたり、ピアノも弾きたいし、笛を吹くのも好きだ。文字は苦手だから絵を描く方が自分の思いを伝えられるような気がしている。好きなものの好きな人の絵が描きたいな。

勉強は楽しい。だけど試験に受かる勉強ってなると話はまた別で覚える事柄はたくさんあるし、問いの出し方は受からせようというよりは落とそうとして作ってる感があるから受かるってなると傾向と対策と試験に合わせた勉強が必要になってくる。ううう、勉強自体はすごく楽しいんだけどな。只でさえ、起きてるだけで頭ぶち割れそうなくらいの異常な眠気を抱えている(そういう睡眠障害だから)中で勉強したり考えたりするのはただ者ではないっていうかみんなどうやってるの!?涙。って叫びたくなるくらいに頭が働かなくて起きてるだけで精一杯だ。はあ、頭クリアに眠気を抱えずに起きていたい。それだけなんだけどな。

なんて複雑な心境になりながら、歩は遅々としているのだけどそりゃ悔しいよ。悲しいし勉強したい。だけど悔しさはいいけど、自分を駄目だって責めないように気をつけている。現実の自分に合わせてペースを緩めたり、どんなに遅々としていたとしても責めない。自分は200%がんばっているのだからそこで責めても何も良いことは生まれないって療養で私は学んだ。

これは過眠症特有だと思うんだけど、異常な眠気が常にあるのが症状だから出来ない自分は責めなくていいってことを私は強く言いたい。だってこんなにめちゃくちゃがんばってるのだから。眠気と闘いながら起きて生きる選択をしている己の意思や思いや行動はめちゃめちゃすごい!もし責めるのであればそれは自分ではなく、症状そのものだ。

どこからが症状なのかわからないからつい自分を責めるんだけど、この異常な眠気が異常なわけでそんな中孤軍奮闘生きてるあなたはすごいのだ。今はTwitterで同じ症状の方と繋がっているからもうひとりではないけれど。この病気は孤軍奮闘にとても陥りやすいと思う。そういう意味で過眠症が広く認知され理解されること、病気の難病さ、孤独、生活に非常に困難をしいるものだということが社会でもっと知ってもらいたいと思う。そうじゃなくても孤軍奮闘して生きてる人はきっとたくさんいて。今の世の中は狂ってると思うんだけど、人に対して手をさしのべる生きてきたお互いを褒めて喜び合える社会にしていきたい。

話がずれてしまった気がするけど。頑張りたいものがあればあるほど(起きていたいと思えば思うほど)、寝ちゃう起きていられない自分に対して悲しさや悔しさや頑張りたい気持ちがフラストレーションでいっぱいになって行き場のない思いに複雑な叫びたい気持ちで寝る。そうなのだ。頑張りたいほどつらいのよこの病気…。私は大人だから自分で自分をケアしていく方向で学びながら生きてるわけですが、そこをもし10代とか20代とかの当事者の方に対して親御さんは頑張りたい気持ちに溢れてる中寝ちゃうっていう本人が抱える悲しさやどうしようもなさに本人が一番頑張りたいんだっていうそこを汲み取ってほしいなと思う。

見た目には寝てるから伝わりずらいし、反対に意欲が感じられないとかって判断されてしまうことが多いと思うのだけど。そうじゃないんだ!違うんだ!めちゃめちゃ頑張りたいし起きてたいし。その気持ちの中、異常な眠気に襲われ、なんなら孤軍奮闘戦っているんだ!眠気との闘いばかりでなく、社会とも戦うなんてつらいよ、つらすぎるよ。親御さんや仲の良いお友達はそこをどうか理解してあげて、ほしいなと思います。それだけで救われる部分がほんとうに大きいと思います。そして私のようにもう大人の方には、自分に対して理解してあげてほしいなと思います。

生きてるだけではなまる✨ライン@

生きてるだけではなまる✨という言葉を掲げ、褒める私をインプットしたライン@をはじめました。話しかけると、褒めて返してくれます。自動返信なので、すぐに既読がつきます。褒める返信がすぐ来ます。自動返信モードになっているので、インプットした褒める私から返事が来ます。夜中とかこんな時間に誰にも送れないとか言いたいことあって吐き出したいとか、誰かに話を聞いてほしいときとか、凹んだり落ち込んだりしたときとか、小さな達成感を伝えたいときとか、起きたよーって報告とか褒めてもらいたいときとか、このライン@に送ってくれたら、嬉しいです。褒めて返します。どうしようもないときも、スタンプだけでも送ってくれたらオートマティックな褒める私がお返事します。

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こんな感じです。オートマティックな私なので、話が噛み合わないこともありますがそこはご愛嬌でお願いします笑。基本は送ったら褒める返信が返ってくるシステムになっていますが、たまに私の方から送ることもあります。内容は、もちろん褒める内容でございます✨友達追加したけど、褒めるオートマティックな私がもしうざかったり嫌だなって思ったらそのときはブロックしてください。

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