特発性過眠症と共に。

特発性過眠症と共に生きる。🚢☁☁

#過眠症エピソード

ずっと苦しくて助けてほしかった。ずっと苦しくて、ただ生きてるだけなのに、普通に生活するだけなのに苦しくてへとへとになって、なんで自分はこんなに疲れ果てているのに周りの人は元気で余裕があって一日の中で次々とたくさんのことが出来るんだろうと疑問だった。自分が苦しくて助けてほしいのに、何がどう苦しくてというのを言葉にすると「眠い、疲れた」そんな風にしか言えなくて。「みんな眠いしみんな疲れてる」と私の苦しみは回収されてしまって伝わらない。そのうちに周りにも自分にもイライラするようになっていった。発狂する程の眠気となんとか意識を保ちながら何故自分がこんなに苦しいのか眠いのかわからずにでも生きるしかなくて。自分の体をガチガチに固めながらやってきた。

そんな風に生活する年数が長すぎたんだなと今になったら思うけれど、それが自分にとっては当たり前になってしまって異常を異常と感じなくなっていた。

自分では認識出来ていなくても、確実に体は疲労し続けていたし、どこでも寝てしまう自分に対し四六時中寝ないように闘う意識があってそれがないと生活出来なかったわけなのだけど、夜も寝ちゃいけないって意識が離れなくなって、眠っているけれど寝ていないそんなおかしな状況になっていた。具体的には、目をつむっている間(いわゆる夜間の睡眠中)も、日中落ちてしまって動けないときも、周囲の環境音や人の話す声などほぼ24時間ずっと音が聞こえていた。音は聞こえていて、その間の会話なども覚えているから自分では寝ていない(意識は起きてる)けれど、体を動かすことは出来なくて声を発することは出来なくて。ただ周りの会話に対して必死で呼び掛けたり自分の中では会話に対する反応をしていた。それも周りから見たら寝ている、という風に見えるみたい。そう考えると、寝ているというよりも動けなくなるという方が当たっているのかもしれない。

それで驚いたのが、検査入院のときに自分にとってはいつものように寝ているつもりだったのだが、突然先生が入ってきて「眠れてないですねー、一回トイレ行きましょうか」って言われ、私は寝てるつもりだったから「え?え?」っわけがわからず促されるままトイレに行って、またベッドに戻った。私、眠れてなかったんだってことがそのとき判明して驚いたのをすっごくよく覚えている。だって脳波を図ってなければ、誰がどう見ても寝てるし、本人ですら眠っていると思っていたのだもの。眠れてなくてだけど体は疲れていて、とにかく体だけでも休息させようとこれ以上動かないようにと。生きるために。

眠り続ける日々はつらかったけれど、ああいう状態にならない限り私は自ら休むという選択をすることは出来なかったし、間違いなく動こうとし続けたと思うから、今は私を生きる方向へと向けてくれた私の体全部に感謝している。私の意識なんかよりよっぽど体は頼りがいがある。


体と一緒に生きるということ。他者と一緒に生きるということ。自分の状態を正直に話すこと。出来ないことは出来ないとちゃんと伝えること。今自分に出来ることを一生懸命やればいいということ。一日中寝ることしか出来ないのならば、そのときは寝ることをやればいいということ。


自分が苦しいと感じているその苦しさやつらさは、感じて声を聞いてあげるということ。

今はひとりではなくて、他者と一緒に協力し合って、時に頼り助けられ、自分が出来るときは支えになったり力になったり出来たら私も嬉しいし、そうやって人と一緒に生きていきたいと思っている。そういう風にしたら、私でも生きていけるんじゃないかと感じている。