特発性過眠症と共に。

特発性過眠症と共に生きる。🚢☁☁

いつも心にドラえもんを

前回の記事で書いた自分の体調を数字で表すことに関連して。数値化することの何が良いかというと、私にとってそれは自分と対話するようになったことです。


数値くん「今日の体調どうよ?」

私「う~ん…」

最初はよくわからなくても、とりあえず5段階(最初は3段階でも良いかもしれません)の中から選んでみる。


私くん「3かなあ」

数値くん「3ね」


そうやってとりあえず選んでみて答えていくと、自然に自分にフィードバックがかかるようになりました。数値くんに毎日数字を問われることによって、自分の体調を観察するようになっていきました。そうすると、


私「こないだ3って言ったけど、あれは2だったかもしれない。今日の方がなんとなく調子が良いから、今日が3かも」

数値くん「ほうほう。じゃあこないだの感じは2で、今日の方が3なんだね」

私「うん」


そんな感じで数字を付けていくと、自分の中に基準が出来てきて比較ができるようになりました。点を二つ打つと、その間の距離を計れるように。とりあえず数字を出して見ることで、その日の数字と今日を比較して今日の体調の数字を割り出すことが出来ました。すると、だんだん精度が上がっていきました。より正確に自分の体調を表す数字を選べるようになりました。自然に自分の体や精神的な感覚を観察するようになったからだと思います。何故なら、観察しないと数字が出せないからです。数値くんが毎日聞いてくれて、それに答えていくのを続けていくと、私は自分と対話が出来るようになりました。自分を自分の味方につける。自分を自分の理解者にする。自分を自分の相談相手にする。そうやって自分と対話しながら付き合っていくと、だんだんと私は自分を頼れるようになってきました。最近は自分のことを案外頼りになる奴だなと感じています。頼もしさすらあるような。


私は今まで自分で自分を責めたり、何てお前は駄目な奴なんだと叱責したり、休みを与えずバシバシと叩きながら生きてきました。現実の私に出来ないことがあればある程、私の理想は高く高くなっていきました。目の前のぼろぼろな自分を見たくないから、どこにもない理想と空想と妄想の世界で思い描く完璧な自分を見上げていました。理想と比べると全く欠け離れている実際の自分が許せませんでした。理想に追い付け、少しでも良いから近づいて見やがれとばかりに動かない体を無理矢理動かし自分を引き摺り回していました。

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そんな自分(1)が自分(2)に鞭を振るっている様子を、少し離れた所から自分(3)が見たのです。休む暇も楽しむ余裕も寛いだりそんなのはなく、自分1に言葉で責められ体は叩かれぼろぼろの自分2を見たら、私はもうやめてって思いました。もう責めるのはやめてって思いました。心が痛かったです。(今思うと、自分2を叩いている自分1も、自分1に叩かれている自分2も、それを見ている自分3も、心が痛かったはずです)

自分3はその様子をずっと見守っていたけど、自分1は一向に自分2を叩くことをやめません。とうとう自分3は仲介に入り、自分1を止めようとしました。でも自分1はとっても強くて、自分2を叩くのを止めることは容易ではありませんでした。止めるのには時間がかかりました。3人は取っ組み合いになり、もつれにもつれ自分3と自分1と自分2は団子状態でゴロゴロと坂を下り落ちました。長いこと下ってどこかの底まで落ちました。その落ちた場所で、やっと自分1は我に帰りました。自分2はぐったりとして起きませんでした。


自分1と自分3が揺すっても声をかけても、自分2は反応しませんでした。ここで初めて自分1は事の重大さに気が付きました。自分1は自分3に、自分が何をやっていたのか聞きました。自分1は、自分2をこうしてしまったのは自分なんだと気付きました。悲しい気持ちになりました。ごめんね、と思いました。自分2は目を瞑って倒れたままでした。そこから自分1は自分2を助けようと思いました。ごめんね、ごめんね、って言いながら自分1は自分3にどうしたらいいか聞きました。自分3は相談にのってくれました。自分3はとても直感、感覚が強い人で自分3は自分3を信じていました。自分1は自分3と協力し、誤っていたことは直し、自分3と一緒に自分2を助けようと思いました。自分2が元気になるように、自分1に出来ることをやろうと思いました。

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追記…昔ある人から「いつも心にドラえもんをだよ」と言われました。「いつも心にドラえもんを」と。その時はよく意味がわかりませんでした。この記事を書きながら、そう言われたことをふと思い出しました。ドラえもんは、のび太にとって親友のような兄弟のような存在だと私は感じていて。のび太にとってドラえもんはきっと対話する相手なんですよね。いつでも対話する相手、つまりドラえもんを心に置く。そんな意味だったんじゃないかと思いました。そんなわけでタイトルをいつも心にドラえもんをとしました。😃