特発性過眠症と共に。

特発性過眠症と共に生きる。🚢☁☁

寝ているけど、眠れてはいない。私が考える特発性過眠症の原因についての仮説

こんにちは。9月に入り、一気に秋の空気でびっくりしております。秋晴れの日はとても気持ちが良いですね。白湯を飲みながらほっとしております。今日の記事は、今まで自分が考えてきたことがこの方向で間違っていないなと感じてきていることを言葉にしていこうと思います。

医学的、科学的なこと、脳のこと、睡眠医学など専門的なことは私にはわかりません。だけど、原因不明と言われているこの病気を私なりに解いていこうと思うのです。私の中に自分を実験台にして得た一つの仮説があります。それはこのブログのホットミルクで書いたことに繋がっていくのですが。考えて、検証して、また実践してを繰り返して、何故だか根拠のない自信があって、それを味方に書いていきたいと思います。誰しもに当てはまるものではないかもしれませんが、この記事が誰かの何か少しでも参考になったら嬉しいです。


私の仮説の切り口は、二つあります。


"過度な緊張"

"寝ているけれど、眠れていない"


日中だけでなく、就寝時においても極度の緊張状態が解けないことから夜間睡眠時、寝ているけれど眠れてはいない。という現象が起きているのではないだろうか。睡眠時、寝ているけれど眠れていないことにより、体や脳の休息・修復が正常に行なわれず極度のエネルギー不足になっている。そのせいで覚醒が困難となり、日中の活動状態を維持することが出来ない。そうして睡眠が取れていない(寝ているが眠れていない)時間が何年何十年と続いた結果、膨大な修復出来ない体と脳の疲労が強制的に睡眠を促して少しでも修復・休息しようとしているのではないかと推察する。簡単に言うと体と脳が回復の時間を求めていて、眠気の強度は今まで溜めてきた体と脳の疲労度に比例している。これが私が考える異常な程の眠気のメカニズムです(科学的根拠に基づいたものではなく、一過眠症患者の考えです。容易には鵜呑みにしないでください)
まとめてみます。


過度な緊張状態が解けない(※)

夜間睡眠時、一見寝ているが眠れていない(周囲の音や声が聞こえることからも脳が起きているのではないか)

体と脳に修復出来ない疲労が蓄積

日中無理矢理、体を引きずり動かす

蓄積極度のエネルギー不足が生じる

強度の過眠を引き起こす


それで問題になると考えているのが、※の部分で過度な緊張が起きている原因は本当に人によって違っていることです。私の場合は、様々な場面で感じてしまう生きづらさ(思春期の私は普通になるにはどうしたらいいのかを探っていました。皆が普通にやっていることが出来ませんでした)と、母親との関係が大きな原因ではないかと感じています。何に依って緊張状態が引き起こされているのか、その原因は人によってそれぞれ違うので、誰しもに共通する解決策はたぶんないです。そして薬の服用だけで解決するには難しい部分でもあるんじゃないかと思っています。もちろん、自分に合う薬があったら薬にも上手に頼りながら、それとは違うアプローチも試してみて良いんじゃないかなと思っています。


この薬以外の部分についてなのですが。
人間は他人との間の中で生きています。何らかの社会と嫌でも関わり続けます。始まりの小さな社会は家族だと思うのですが。解けない極度の緊張状態は、そういった何らかの社会、人とが関わる集まり、集団の中で引き起こされていると考えます。極度の緊張の糸は張ったままでは引きちぎれます、どこかで緩むことを必要とします。この張った糸が緩むことがうまく出来なくなっているのではないかと考えます。覚えていてもらいたいなと思うのが、自分の意思で動かすことが出来る範囲ではなく、無意識的な部分で引き起こっていて、緩むことがうまく機能していないのはあなたのせいではありません。患者自身の意志の弱さなどでは決してないのです。

この過度な緊張をほつれた糸の固まりとイメージしてみて下さい。もう固くぐるぐるに糸の色がわからないくらいに真っ黒になっているかもしれません。すごーく小さいかもしれないし、巨大でわりかしふんわりしているかもしれません。人によって形も固さも色も糸の細さも素材も違うと思います。とても長い時間がかかるかもしれないし、案外するっとほぐれるかもしれないです。この過度な緊張の糸を前にして、一つとっても良いところがあるんです。それは自分で解いていくことが出来る点です。そしてもう一つとっても良い点があるんです。それは、自分だけでなく信頼できる誰かの手を借りて、一緒に解くことができることです。父でも母でも恋人でも病院の先生でも友人でも兄弟でも祖母や祖父でも相談できる施設の信頼できる人でも学校や仕事、部活や塾や習い事の同期や先輩や後輩、大好きな歌手や大好きな俳優や声優やアイドルや本や映画や、自分が信頼できる人に手伝ってもらってほしいと思います。ひとりでは手をつけられないことでも、誰かが手伝ってくれたら手を伸ばせることってあると思うんです。信頼できる人や信頼できるもの、頼れる人、頼りにできるもの、心底大好きな人や大好きなもの、自分にとって特別な人やものと出会う瞬間は私にとって至上の喜びです。きっと私以外の人にとってもそうなんじゃないかなって思います。自分にとって特別になっていく、特別にしていく、そういう時間を過ごしていくのが人間が生まれて死んでいくまで生きる意味なんじゃないかなとそんなことを思います。

話が飛躍してしまいましたが。
過眠の症状は、やっぱりつらいです。平気と簡単に言えない程、だけど大丈夫と日々を死ぬ思いで、自分もう死んでるんじゃないかって感じながら生き抜いている人が、たくさん、いるんじゃないかと思います。緊張の糸は、必ずほどいていけます。この糸が解けたらとっても楽になります。少しでも解くお手伝いが出来たなら、私は私で自分の糸を解しながら、一緒にほぐしながらいけたらいいなと思っております。私に出来ることは、このブログを通して自分のことを書いていくしかないけど、私はあなたが良くなるのを絶対信じてます。

ここまで、読んでくれてありがとうございます。

続きます!