特発性過眠症と共に。

特発性過眠症と共に生きる。🚢☁☁

どうにかこうにか

前々回の世界という記事に
yorinnem.hatenadiary.jp


kibowさんからコメントを頂きました。綴られた一つ一つの言葉に私は心が動かされ、様々な考えが浮かんできました。またそれと同時になんだかとても感動してしまいました。こうやって言葉を通じて、実際には顔を合わせたことはない方と心を交わせることが出来ることに。一緒に考えたり、喜んだり、疑問に感じたり、違いを発見したり、思いを語り合ったり出来る。人間ってどうしようもなく愚かな部分を持っているけれど人間は美しいと思うのです。

一番ハッとした部分がここなのですが。

喜び合えるということは自分以外の誰かがいるということ。


喜び合えるということは自分以外の誰かがいるということ。ハッとしました。自分ひとりで喜び合うって出来ないんですよね。そこには自分以外の他者の存在が必ずあって。人間の人生ってもしかしたら共に喜び合える人たちと出会っていく旅なのかなと思ったりしています。小さな小さな家族から、社会に出て、誰かと関係を結んでいく。見知らぬ誰かは、大切な誰かになっていく。(「星の王子さま」のきつねと王子さま話にもありますね)以前、どこかで書いたかもしれないのですが、生きるって自分にとっての特別を、特別にしていくことなのかなと考えていて。誰かがどう言おうと思おうと関係なくて、自分にとっての大切や特別は誰にも奪えないし汚せない尊いものなのだと。仮に生きる意味というものがあるとしたら、自分にとっての特別が特別であることなんじゃないかなと思うのです。

すぐそばにいる

わたしが生きていることを、あなたが生きていることを喜び合える。そんな喜び合える誰かがいたなら、この世界をどうにかこうにか生きていけるなって思ったのです。離れた場所にいても、一度も会ったことがなかったとしても分かち合う他者の存在が自分を生かしてくれる。今はもう生きていなくとも、私たちは過去に生き抜いてきた人間の存在を感じることができます。道具やシステム、考え方などあらゆる研究や発明、失敗、絵、写真、言葉、詩、歌、音楽…今この世界には生きてきた人間によって創られたものがたくさんあります。そのひとつひとつは私たちが生きていることを祝福してくれているなあと私は感じるのです。今生きているということを一緒に喜んでくれていると。オーケストラの音楽を聴いていると私はモーツァルトドビュッシーイプセンベケットクリムト草間彌生、青柳カヲルさん、岡本太郎、さいあくななちゃん、宮沢賢治谷川俊太郎Mr.children大森靖子ちゃん、つんく♂さん、数えあげたらキリがない程、の人たちと創ってくれたものを通して喜び合うことができるなあ。今、喜び合ってるなあと感じるのです。すごいことにそういう存在は、目を向けてみるとすぐそばにいたりするんですよね。たくさんの人にもらって生かされている自分でいいのかなって思ったら、小さい自分何も出来ない自分、眠ってしまう自分がいとおしく思えてきたのです。不思議なのですがそうやって生きていきたいと今思っています。

ひとりでは生きられない

人間はひとりでは生きれないようにプログラミングされているんですよね。だから、人を求めるのだろうと思います。いっぱい色々な人や物から支えてもらって、パワーをもらって、落ち込んだら頼ったり愚痴ったり泣いたり。自分は小さな存在でも、周りに助けてもらいながらだったら私でも生きていけるしあなたも自分だけで一杯一杯背負わなくてももうきっと大丈夫です。無責任に聞こえてしまったらすみません!でも人間って、1人で生きていける生物じゃないから周りに頼って助けてもらってそれで大丈夫なんだと思います。願わくば、私も誰かの支えになれたらという傲慢な欲を持ちながら。このブログが一緒に生きていることを喜び合える存在になれたら嬉しいです。おそれ多いかもしれないけれど、そんな場にしていけたらいいなと気負わず背負わずゆるりと思っています。そんなことを私に考えさせてくれたkibowさん、ありがとうございます!!今この記事を読んでくださっているあなたに、心からの感謝を贈らせてください。ありがとうございます。私もあなたもみんなみんなに幸あれ✨✨✨✨✨