特発性過眠症と共に。

特発性過眠症と共に生きる。🚢☁☁

ちょっと過去を振り返る。遅刻とか時間とかと私の話。最終的にはいつだってはなまるをあげたい。

今日も今日とて今日を生きました。
いつだってはなまる!

自分にありがとうってあんまり、っていうかほとんど言ってこなかったなって思いました。私の30年。自分が過眠症だと、自分が発達障害だと、知らなくてわからなくてそんな時間が長かったのですが、自分が抱える困難に対してどうしたらいいのか試行錯誤の日々でもあったのだなと今振り返ると思います。

体は重くて朝全然体を起こせないこと、なにをどうしてもどうにもなりませんでした。一度寝ると十時間以上は当たり前。毎秒、寝る隙を探す生活をしていました。趣味は、ありません。他人が不思議でした。なんでみんなは好きな服を買ったり、集めたり、お洒落したり、好きな映画や音楽についてとても詳しく楽しく語り合っているのだろう。私は家ではいつも寝ていました。

いつどこでも寝てしまう、遅刻・ドタキャンを何度も繰り返す、自分の身仕度すらままならず整えられないまま出勤する、若いうちはまだ若いんだしという目で見られていましたが、年を重ねるに連れなんだこいつはという目に変わっていきました。大人、として軽蔑されていたと思います。時間を守れないってそれだけで大人ではなくなる、信用もなくなる、おまけにいつも寝てるとすごい人ですよね。

そんな自分を、私は自分でどのように扱ったらいいのかわかりませんでした。どうしたら改善されるのか、どうしたらもっと楽に起きられるのか、(自然に起きるということがほぼ不可能に近い程、ひたすら寝る病気ですので困りました)、もうわからなくて八方塞がりでした。助けも呼べませんでした。時間を守ろう、時間の大切さ、日本の社会での時間の取り扱いについての精神的な教えは、上司、同僚、彼氏、先輩、友達、数々の人から切々と説かれました。すごく真剣に、いろんな言い方で教えられ、怒られ、遅刻しない考え方を提案されました。その度に私は本気で考え、そのように思い、努力しました。でも精神的なものや努力や考え方を変えることでは、全くと言っていい程なにも変わりませんでした。変わらないので遅刻を繰り返します。また説教をされ、最後にはこいつは変わらないんだと諦められました。人から諦められることは悲しかったです。でもどうしようもありませんでした。


私の毎日ただただ時間に追われ、時間に遅れ、人に謝り、時間に間に合わない自分を恐れ、また遅刻し、その繰り返しでした。このように文字にして言い切るのは悲しいですが、本当に毎日がそんな生活だったのです。誰にも苦しい、困っている、どうしようもないんだと言うことはできませんでした。でも心の中ではいつも「誰かにこの私が抱えている困難に気づいてほしい、助けてほしい、どうしたってどうにもならなくて苦しいんだ」と、ずっといつも叫んでいたように思います。


私が取った選択は二つありました。自分を責めることと、笑うことでした。自分を責め、なんてだめなやつなんだと自分で自分を悪く言うことで、寝てしまう自分を自分と切り離したのです。私には理想があるんだ。現実の私の体は追い付いていないだけで、私の理想は時間も守れるしドタキャンもしないし、身なりだって綺麗だって高い高い理想を作りあげました。いつだって理想の自分から現実の自分を責めることで虚勢を張っていたのだと思います。理想の自分がないと、私は崩れてしまいそうでした。理想にしがみつき己を責めることで私は生き抜いてきたのです。そしてへらへら笑って生きてきました。もちろん真剣に言われたことは全部真剣に受け止めました。受け止めすぎなくらいなんでも試しました。周りから遅刻のことでいじられてもへらへら笑って自分が傷つかないようにしてきました。一番ショックだったことは数え切れないくらいあるのですが、「○○さんは遅刻するから誘うやめた方がいいよ」って私の目の前で、私に声をかけてくれた人に言われたことです。声をかけてくれたその人はまだ私のこと何も知らないのに、遅刻するからって言われてとても悲しかったです。でもそのときの私は「遅刻しませんよ~やめてください」ってへらへら笑っていました。笑って、今までつらかったり傷ついたりしたことを笑って流してきたつもりでいましたが、私はしっかり傷ついていました。たくさんたくさん傷だらけでした。笑ってきたのになあ。気づかないふりをして強がっていた分、放置した傷がありすぎて笑えません。今度はもっと違う笑うができたらいいなあと思います。すぐには難しいかもしれないです。まずはへらへら笑って強がっていた自分の傷を一個一個、見て私が気づいてあげようと思います。同時に、私はどうしたって無意識でだってそんなつもりはなくったって、人には人にはわからない見えない苦しみや悲しみがあってそれでも生きてる人に、私がかけられるとしたら思いやりのある言葉や行動を渡したいです。私、どれだけ心ない言葉に傷ついたか、悪気はなくても、その人がどんだけ良い人であろうと、言葉や態度は人を傷つけます。傷つけたとせめて自覚出来る人でありたい。ごめんなさい、って謝れる人でありたいです。わからないから教えてくださいって言える人でありたいです。ありがとうを伝えられる人でありたいです。

よくわからなくなってきましたが、今、生きてる私は最終的にははなまるです。私は私にありがとうと伝えて、はなまるをあげて、いつもはなまる💮で生きていたいです。肺呼吸という哺乳類の神秘を毎秒実践している私は超天才のはなまるです。心臓が収縮し脈を打ち全身に血液を運び酸素を行き渡らせている、天才です。老廃物を尿として体外に排出している、ブラボーです。はなまる要素は無限にありました。私ははなまる!あなたもはなまる!今日ははなまる!出来るなら、自分と仲良く励まし合い、労い合い、助け合い、支え合い、感謝を伝え合い、私は私の体と仲良く生きていきたいです。ごめんね。私。どんなに病気を抱え、不自由に悩まされ、痛かったり苦しかったり、やるせなかったり、しても、私は私の体にありがとうって言いながら生きていきたいです。これからは仲良く生きていきたいです。はなまるだーよ!

(自分ではなまるあげられないときには、超歌手の大森靖子さんの最新アルバムクソカワPARTYの魔方陣盤に弾き語り特典で入っている"はなまる"という曲を聴けば、いつだって靖子ちゃんが私にはなまるをくれます。はなまるだーよ!それでいいんだーよ!)